挙式までの心構

◆縁は異なもの味なもの”といいます。
思いがけない縁が、どこに転がっているか分かりません。

その縁を見つけるのが見合いです。

しかし、ただ手をこまねいて待っていればよいというものではありません。

それ相応の努力が必要です。

こんな働き者の息子さんにどうしてお嫁さんがこないのだろうとか、こんな心のやさしいきれいな人がなぜお嫁に行かないのだろうとか、そんな思いをすることがよくあります。

理由は、簡単です。

家業に一生懸命で、若い女性と交際する機会を持たない人とか、勤め先での仕事はよくできても、女性にかけてはとかく引っ込み思案の人とか、また職場にいるのは妻帯者ばかりで、若い男性との交際のない娘さんとか・・・。

とくに最近は日本全国どこでも、農家の後継者の嫁探し問題が深刻になり、それぞれの市町村が結婚相談所をつくったり、集団見合いを行ったりしています。

また農家にかぎらず一般住民のための結婚相談所を設けている役所や役場は、東京をはじめ、いくらでもあります。

公営以外にも結婚紹介を目的とする私設の組織やクラブなども多く、一定の料金をとって、結婚の仲介をしています。

◆きっかけの”縁”を大切にする
恋愛にも、なにかのきっかけ”縁”というものはありますが、見合いの場合は、より強く、そうしたものが働いていると考えてよいでしょう。

見合いはひとつの賭ともいえます。

見ず知らずの男女が、結婚を前提として話し合い、相手を判断し、ときには多少の交際期間を持ったとしても、そのすべてを知りつくすというわけにはいきません。

その結果、双方がある程度納得し、合意するものがあれば、婚約し、結婚するというのが見合い一般の通例ですから、これは確かに賭といってよいでしょう。

だがそれだけに、幼なじみや友だちの関係から生まれた恋愛結婚とは違った新鮮さもあります。

恋愛結婚こそ最良と考えられている今の世の中で、見合いというものが次第に見直されつつあるのは、ひとつには、そういうスリルと新鮮さにあるのかも知れません。

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